マルチブログ、再び始める物語
最近、ブログを3つも開設しました。
- 韓国語: kr.konayuki.kr
- 日本語: jp.konayuki.kr
- 英語: en.konayuki.kr
以前の私はこういったことを結構うまく扱っていました。ウェブ標準が今ほど複雑ではなく、手で触れる部分が多かったです。フロントページ、ナモウェブエディター、ゼロボード。無料のウェブホスティングにFTPでファイルをアップロードし、PHPコードを修正し、mIRCで人々とコミュニケーションを取り、Winampでラジオ放送もした時代。あの頃は確かに時間がたくさんあった気がします。今考えると、他の子たちはその時間に勉強していたのでしょうね。ww
最近ではむしろ多くのものが自動化されて、直接触れることが少なくなりました。便利ではあるけれど、なんだか「触っている」という感じが減りました。そのため、より難しく感じます。
これからこのブログたちをどう活用すればいいのでしょうか?
もしかしたら、私は自分の話を、自分の時間を、もう少し多くの人たちと共有したいのかもしれません。
子供の頃、オンラインで偶然出会った友達のように、今回もどこかで私の心と触れ合う誰かがいるかもしれません。世界は広くて、私と合う人が1人や2人いるのは不思議なことではありませんから。
仕事は忙しそうですが、実際にはそれほど忙しくはないです。余った時間に何をすればいいのか悩むことが多いです。だから、文章を書きながら何かを作るのが正しいのでしょうか。転職を準備してはいるけれど、最近は自分の気持ちがよくわかりません。
…ああ、ただ、お金がたくさんあったらいいのに。心の平和のためにも。
放鶴洞(バンハクドン)の記憶
子供の頃住んでいた街がふと思い出し、少し探してみました。
私が通っていた新鶴小学校は歌手のイ・スンギとSHINeeのテミンも出た学校だそうです。よくは知りませんが、なんとなく親しみがわきます。幼少時代を共有した空間というのはそれ自体でつながりを作るものです。
YouTubeで放鶴洞の街を時々探してみると、時間が止まったかのように昔のままです。
私は小学校4年生頃にその街を離れたので、記憶はあまりありません。
でも、ユフォア幼稚園、イ・ゲジャ小児科、ワールド体育館、東北小、宣徳高といった名前は今でも鮮明です。思い出す友達の名前もいくつかあり、インターネットで探してみたこともありました。
放鶴洞は最近ソウルで最も家賃が安い場所の一つだそうです。まもなく再建築予定だとも聞きました。私が生まれる前にできた街が今、新たに生まれ変わる準備をしているのです。驚きであり、少しは寂しいです。
あの頃は父が放鶴洞からヨクサムまで通勤していました。交通も今よりずっと不便だったでしょうに、どれほど苦労したことでしょう。
私は今でも父と親しくなるのは難しいですが、それでも年を取るほどに彼が本当に一生懸命生きてきた人だったと認めるようになりました。私の人生がこう流れてきたのが少し残念なだけです。
ジョンヒョン、そして私
放鶴洞を思い出すと → 新鶴小 → テミン → SHINee → ジョンヒョン。
こんな流れで考えが続いて、世を去ったジョンヒョンがふと頭に浮かびました。
SHINeeやジョンヒョンについて詳しく知っているわけではありませんが、いくつかの記憶は残っています。
テミンが「テヒ・ヘギョ・ジヒョン」シットコムに出ていたこと、SMアイドルたちが実力があるということ、そして芸能界で特に自殺が多いということ。敏感で感受性が豊かな人々が多い業界だと思いました。
YouTubeでジョンヒョンの映像をいくつか見てみました。彼の目つきは普通ではありませんでした。
彼がどのような選択をするに至ったのかを外部の人間が想像するのは、もしかしたら傲慢なことかもしれません。
しかし彼の遺書を読み、27歳の私も経験したあの絶望感が思い出されました。
一人で抱えるにはあまりにも重い重荷がその文章の中にありました。
彼をよく知っていたわけではないですが、心が痛みました。
ジョンヒョン、よく頑張ったね。それだけでも本当に十分だよ。誰も想像できない多くの戦いをしてきたんだろうね。
私は自殺なんかしません。
ですが、文章を借りて言うならば、
「私はずっと前から内側で壊れていて、鬱はゆっくりと私を蝕み、ついには飲み込んでしまった。」
彼の遺書の中の言葉がそうです。
どんな言葉も、どんな助言も、彼が感じた痛みを歓喜には変えてくれませんでした。
「なぜ苦しいのか話してごらん」という言葉が、どれほど空虚であるかを彼は教えてくれました。
彼が残した最後の言葉が長く心に残ります。
「ただ、よく頑張ったと言ってほしい。苦労したと言ってほしい。笑えなくても、責めるようなことはしないでほしい。」
運動
実は、私も最近落ち込んだりストレスが溜まったりすることが多かったです。
最近、遠くから懐かしい方々が訪れ、少し良い時間を過ごしましたが、結局出会いには別れが付き物です。
いつかまた会えるかもしれませんが、今ではそういったこともただの日課のように過ぎていきます。
年もこれだけ重ねたのだから慣れるべきなのかもしれませんが、まだよくわかりません。
…でも実はこれは今週運動に行けなかった言い訳かもしれませんね。www
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